「古代魔術」

今回から数回にわたってご希望の多かった「魔術」についてお話しましょう。

「古代魔術」― 旧約聖書でアダムが最初にした事は、物事に名前を与えることでした。それから古代人が言葉や名前そのものを崇拝したことにより、精霊や別の世界に住んでいる神々を呼び出す呪文が重要視され、魔術が徐々に確固たる物として設立されていきました。魔術師は神々の使者、いわば執事として仕え、大自然の力、風、雨、嵐、暴風、川や海、そして病や死までもが魔術師に敵対するものや、天と地の神々や天上界から、苦労して手に入れた言葉の知識を授けた人々の敵に対して言葉の鉄槌を振り、破壊して行ったのです。

 

紀元前1200年、ラムセス3世はエジプトを統治していました。そしてその王に対する暗殺計画が着々と企てられていました。反逆者のリーダーであるフィーは王家の図書室に忍び込み保管されている魔術書を盗み出し「狂い死にする魔法」を執り行った所、その魔術が自分に跳ね返り自殺。それを知った王は状況を理解し、クーデターを未然に防いだとの記録があります。また、紀元前670年、エジプト王ヌトアメンはある日、「両手に1匹ずつ蛇を高々と掲げている夢」を見ます。それをお抱えの「夢説き」に話すとそれは「南北両方の国土を制する」意味であると知らされ、後に戦いに勝利を収めその通りに領国を制しています。

 

古代バビロニアでは、バアル神に仕える女司祭は夢見のために羊皮のシーツを敷いた寝台で寝るとされ、ヘブライ人は祖先の墓の傍らで眠りにつき、夢のお告げを待ったとされています。古代人は天体を我々の世界に直接のつながりがあると信じ、月は海の潮の干潮を制御し、太陽が農作物やひいては人間の死をも支配すると考えていました。古代における占星術は、高等教育を受けた知的階級が担い、そういった教育は常に聖職者の専門知識分野であったため、神聖国家での転生術は瞬く間に人々に浸透し、地盤を固めて行ったのです。

 

「中世初期~中世中期の魔術」― キリスト教会が表向き魔術というのは悪魔のささやきであるとして、弾圧したにもかかわらず、中世では一般国民に広く信じられ行われていました。貴族達は宮廷に魔術師や占星術師、占い師を多く召し抱え、日常の決め事から政治へのアドバイスに至るまで広く使いました。魔術師はその力が強くなる度にデーモンへの挑戦を繰り返し、徐々に破門用のまじないすら唱えるようになって行きました。魔術に対する信仰はまさに逆の意味で、教会に対するそれと全く同じであったのです。1880年フィラデルフィアの教会では「ありがたい蝋燭」を、「1年間のどの痛みが取れる」効能があると売り出し、アグヌス・デイ(神の仔羊)と呼ばれるメダル型の蝋燭の塊は教皇ウルバヌス5世によって「稲妻、火、水の害から身を守る」護符であるとともに「安産と罪の許し」のお守りであるとの文句と共に売り出され、かなり売れたと記録にあります。(続く・・・・)

クリスタル

 

占い暦40年以上、

オーストラリア・シドニー在住の日本人カウンセラー

 

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