「近代魔術」

魔術についての最終回です。「死者をよみがえらせたい。死にたくない」という欲望は「死霊術」を、「健康でありたい、病から回復したい」という欲望は「治癒術」を、「自然と対話しその力を借りたい」という欲望は「精霊術」を、「人の心を覗き見し操りたい」という欲望は「魅了術」を、「未来の姿を垣間見たい」という欲望は「予見術」をそれぞれ昇華させて「魔術」として確立していきました。しかし、未来を知りたいとする欲望の対になる「過去の姿を確認したい」という欲望「過去視」は、「死霊術」や「召還術」によって呼び出された「誰も知らない過去の姿=今に繋がる意識を持つ誰の記憶にも無い過去の姿」のはずであり、それは「記録としての過去」ならばいくらでも存在しているのにかかわらず、魔術的に知りうる手段を有史以来一度も有したことがないのです。

 

でも「予見され、実現されなかった未来」は果たして「存在しない未来」なのでしょうか?「世界が過去から未来まで一直線に連なるもの」であるのなら、なぜ、「断絶された過去を有史以来の全ての天才魔術師たちをもってしても、あるいは欲望の集合として、確実に存在しているであろう社会的意識の現われとしてでも、人は今の今まで一度も確認する事が出来なかった」のでしょうか?

不確かな存在でしかないのかもしれない未来を見ることは可能であるのに、確かな記録であるはずの「過去」を見る事が不可能であるという現象と、「魔術とは意思と意識との技である」という事実を重ね合わせて考えてみると、「誰の意思も、いかなる意識も“過去を見ることを望んでいないし、望まなかった”という事実のみが残ってくるのです・・。

 

ESP(超能力)と呼ばれる類の、ごくごく未熟で未整備で、全く何らかの実行力、影響力を社会に対して及ぼしえない「魔法」に対して、社会はそれを「さらしもの」にし、「科学的に否定」することにより、その「魔術根拠」を抹消しようと試みました。かつての魔女術のように、それが社会に影響を与え、そのなりたちを変革させようとする実行力を発揮してしまったのならば、「抹消しようとする意思」は魔術根拠に留まらず、「術者」たちにさえも直接及ぶこととなったのです。社会は公然と行使される魔法を決して容認をしてきませんでした。ですから魔術師たちは社会から隠れてしまったのです。系統的に専門的に区別すると、黄金の夜明け団が解散した後、団体としてのカバラ系儀式魔術、混沌魔術(ケイオス)、それと関連する分野としてウィッカ、ウィッチクラフトなども魔術的な側面を持ち、ブードゥー等の密教宗教と結び付けての研究、実践はいまだに行われています。修業面で言えば、視覚化(ビジュアライゼーション)能力が基本として要求されています。興味のある方は書物ででもネットででも調べてご覧になると魔術とは「あやかし」や「まやかし」ではない、史実に溢れた面白く深い学問である事が分かり、「占い」や「占い師」の成り立ちとは一線を画する事が理解出来ると思います。〈魔術終〉

クリスタル

 

占い暦40年以上、

オーストラリア・シドニー在住の日本人カウンセラー

 

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